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下御霊神社の山崎闇斎・・保科正之 Yamazaki Ansai in Simogoryo-shrine・・Hoshina Masayuki

下御霊神社の中に山崎闇斎を合祀した社がある。山崎闇斎は江戸前期の儒学者・朱子学者・神道家・思想家で霊社号が「垂加社」。下御霊神社の神主・出雲路信直(現神主のご先祖)が門人だった関係から当神社に祀られた。毎年2月22日は相伝されている関係資料が展示される。 闇斎が提唱した教えは君臣・子弟の関係、大義名分を厳しく教えたものらしく水戸学などと共に幕末の尊王攘夷思想に大きな影響を与えた。闇斎の経歴を見ていると江戸に出た後に会津藩主・保科正之の賓師に迎えられた・・とある。保科正之は徳川家光の異母弟でありながら出生を秘密裏に幼少期を過ごし、しかしその謹直な人柄ゆえ家光と対面後は大そう気に入られ、またその恩に答える人生を終えた。歴史番組の特集を観た時に「保科正之」のナンバー2としての物凄さに深く感動した。その厳しさは崎門学と通じ、また闇斎も正之も吉川惟足を師に神道を学び正之は神式で葬られている。正之が残した「会津家十五箇条」は忠実に守られ幕末に最後まで佐幕派として戦うことになる。ここから近い新島襄の旧宅には会津藩の八重が住んでいた。

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